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Marche aux puces 蚤の市 Octa Hotel IMS

marche aux puces a Pairsporte clesbuvards savignactour Eiffel
パリでみつけてきた、素敵なもの達がもうすぐ届きます。
2月3日からの蚤の市で、アンティークアクセサリーなどフランスの香りいっぱいのものが、いろいろ登場しますので、どうぞお楽しみに。

*蚤の市*
2月3日~2月14日
IMS 12F PLACE VERTにて
11:00 ~ 20:00
パリからの買い付け商品
キズモノ、半端物市
白い食器市
かご市
Special price市

SavignacやMorvanなど珍しい 50年代、 60年代のキーホルダーや Buvardも見つけました。


Buvard ビュバーとは、 50年代から 60年代にフランスで広く使われたインクの吸い取り紙の総称。TV-CMなどがあまりなかった時代、広告デザインの最前線で活躍したレイモン・サヴィ ニャックやエルベ・モルバンなどのポスタリストやイラストレーターたちは、そのビュバーをメディアとしていろいろな作品を発表しました。ボールペンの発 明、万年筆をインクにつけ書き物をするという事が少なくなるにつれて、ビュバーもその存在意義を失っていきましたが、それ故にコレクタブルな魅力にも溢 れ、いまでも人々を魅了し続けています。

●Raimond Savignac/レイモン・サヴィニャック
1907 年フランス生まれ。アールデコの巨匠カッサンドルに学び、モンサヴォンで一躍有名なポスタリストとなります。 50年代から 60年代にかけての企業広告デザインが広く認められる中、アンドレ・フランソワと同門で、フランスポスター界の重鎮として確固たる地位を確立しました。ミ シュラン、エアー・フランスや日本でも牛乳石鹸や森永チョコレート, サントリー、豊島園などのポスターなど、身近なものも手掛け、日本でも人気に。サヴィニャックの自宅もある、パリから車で3時間ほどの小さな港町トゥルー ビルでは、カフェや港の旗などあちこちに、”サヴィニャックデザイン”が溢れていて、その豊かな世界に今も触れることが出来ます。 2002年 10月 28 日、惜しまれながら天に召されました。享年 95歳

●Herve Morvan/エルベ・モルバン
1917年フランス生まれ。1980年死去。
戦後のフランスで活躍したポスター画家。1950年にペリエの広告で一躍有名になり、その後ヴィッテル、エヴィアン、ダノン、エッソなど多くの作品を手掛 けました。サヴィニャックとは友人であり、良きライバルでもあったモルバン。かわいらしいキャラクターが多く登場し、近年特に人気を集めています。

La tour Eiffel
キーホルダー、ピンバッチ、マグネット、置物、ポストカード、
スノードーム、、、エッフェル塔もパリから届きます。

—エッフェル塔の歴史—
1889年はフランス革命勃発 100周年というフランスにとって記念すべき年でした。
その記念事業として、パリ万国博覧会 が開催されることになりました。
その1つの建築物がエッフェル塔です。
この建設が始まった頃、近くの住民は倒れるのを想定し近寄らなくなったとも言われています。
「鉄の貴婦人」との異名を持つエッフェル塔ですが、石造りの建築が芸術とされていた当時は、鉄骨むき出しの建造物は芸術にはほど遠い「無用で醜悪な」ものに見えたようです。
しかし、反対運動は、塔の建築中だけでなく、完成後も続きました。 300mの高さから見下ろすパリの景色に誰もが驚嘆の声をあげたにもかかわらず、塔の撤去運動が起こるのです。 エッフェル塔を救ったのは、研究や科学実験の場としての塔の有用性でした。気象、電信、物理実験などさまざまな科学分野でエッフェル塔が実験に使われまし た。その後、テレビやラジオでのアンテナ塔としても、重要な意味をもつようになります。現在では、パリの代表的なシンボルになり、 2002年には入場者数が約 2億人に達したそうです。

エッフェル塔の美しさ
エッフェル塔は、1階部分が全体の 1/5の高さのところに位置しているため、全体的に安定感を与えるシルエットになっています。また、塔の色も落ち着いたベージュがかった茶色で、パリの街並みとも自然に溶け合っています。
「鉄のレース細工 」とも称される細い鉄骨の幾何学的な組み合わせ方細部の美しさも、エッフェル塔の美しさを際立たせています。

Posted in Octa Hotel.